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『この一球は絶対無二の一球なり』の全文と、その意味

投稿日:2021年11月24日  更新日:

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『この一球は絶対無二の一球なり』

テニスの経験のある方であれば、この言葉を見聞きしたことのある方も多いのではないでしょうか。

この言葉は、テニス漫画の傑作「エースをねらえ!」の中でも登場しますし、また、1995年のウィンブルドン選手権4回戦で、松岡修造氏が、試合中にこの言葉を叫んだということも話題となりました。

この言葉は、テニス指導者だった福田雅之助氏(1897年~1974年)が記した「庭球規」と呼ばれるものの最初の文章です。

「庭球」とは、皆さんもご存知の通り、テニスのことで、「規」とは、「きまり」や「おきて」という意味の言葉です。

この「庭球規」についてインターネットで検索をしてみたところ、これを正しく理解して解説をしているものが見当たりませんでしたので、僭越ながら、私が解説をさせていただくことにしました。

今回の記事を通して、多くの方に、福田雅之助氏が残した「庭球規」の意味を知っていただけたら幸いです。

「庭球規」の全文

福田雅之助氏は、早稲田大学出身のテニスプレーヤーで、第一回全日本テニス選手権のシングルス優勝者でもあります。

福田氏が、1941年に、母校である早稲田大学の庭球部に贈ったのが「庭球規」で、その全文は次の通りです。

この一球は絶対無二の一球なり
されば身心を挙げて一打すべし
この一球一打に技を磨き体力を鍛へ精神力を養ふべきなり
この一打に今の自己を発揮すべし
これを庭球する心といふ

福田雅之助『テニス(硬式)』(旺文社、1967年)8ページより引用
※引用に際して、旧字体を新字体に書き換えています

なお、以上の全文の前には、「規」という一文字のタイトルが付けられています。

「庭球規」の意味

それでは、次に、この「庭球規」の意味を解説します。

「庭球規」は、その文章を読めば、大体の意味は分かるかもしれませんが、必要最低限の言葉だけで構成されているため、その意味を正確に理解することは簡単ではないと思います。

ちなみに、この「庭球規」は、早稲田大学庭球部のウェブサイトにも掲載されていますが、その具体的な意味については、明らかにされていません。

私は、その意味を正確に理解するため、福田雅之助氏の著書や同氏に関する書籍を読んでみることにしました。

その結果、それらの書籍にも、「庭球規」の具体的な意味を解説した記述はありませんでしたが、福田氏の様々な言葉に触れ、その考えを知ることで、ついに「庭球規」の意味を理解することができました。

次の文章は、「庭球規」の全文を、私の理解に基づいて、補足説明を加えながら平易な言葉で表現したものです。

今、目の前にあるこの一球は、この先、二度と経験することのできない、一度きりの一球である。
それゆえ、心と体のすべてを使って、その一球を打つべきである。
練習では、そのような一球一打の繰り返しによって、技を磨き、体力を鍛え、精神力を養うべきである。
試合では、一球一打に、日頃の練習で培った今の自分の能力を発揮するべきである。
これを「庭球する心」と呼ぶ。

このように、「庭球規」は、「この一球は」から始まる第一文と「されば」から始まる第二文が総論で、それに続く第三文と第四文が各論という文章構成になっています。

この「庭球規」は、福田雅之助氏の考えを要約したものですが、これをあえて一言に凝縮するならば、「一球一球を、心を込めて打て」という一言になると思います。こうした「心を込めて打つ」「思いを込めて打つ」というような表現は、福田氏の著書に度々登場します。福田氏が、後輩に(後世の人に)、最も伝えたかったことは、おそらく、このことだったのだろうと、私は考えています。

まとめ

この記事では、「この一球は絶対無二の一球なり」から始まる「庭球規」について解説をしてきました。

福田雅之助氏が亡くなられてから、半世紀近くが経ち、同氏の著書はすべて絶版となっており、「庭球規」が人目に触れる機会は、この先、ますます減っていってしまうかもしれません。そうなると、「庭球規」は、いずれ、人々から忘れ去られてしまうのではないかと思い、この記事を書くことにしました。

ただ、福田氏の著書を読んでいると、「庭球規」以外にも、感銘を受けた言葉が沢山ありました。昭和から平成、平成から令和へと時代が変わり、テニスの技術論や戦術論は進歩を続けています。しかし、半世紀前の理論であっても、現代においても全く色あせていないものがあり、特に精神論については、むしろ現代においてこそ一層の輝きを放つのではないかとさえ感じました。そうした福田氏の論が、このまま消えていってしまうとしたら、非常にもったいないことです。

現代を生きるテニスの指導者には、先人の優れた教えを、これからの未来に継承させていく責任が課されているような、そんな気がしています。

<参考資料>
福田雅之助『テニス(硬式)』(旺文社、1967年)
福田雅之助『テニスこの一球』(ベースボール・マガジン社、1986年)
岡田邦子『日本テニスの源流―福田雅之助物語』(毎日新聞社、2002年)
・早稲田大学庭球部「庭球部の歴史」http://www.waseda-tennis.com/history.html(2021年11月24日参照)

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